頼 立斎 らい りっさい
   

石榴
秋果總空霜後技
前軒榴子獨垂々
為開笑口含球玉
日有黠离來相窺
   石榴(ざくろ)
秋果総空 霜後の技
前軒の榴子 独り垂々(=たれ下がる)
為に笑口を開いて 球玉(=宝玉)を含む
日有りて 黠离来たりて相い窺う
15.5p×22p

享和3年(1803 一説に1800)生〜 文久3年7月13日(新暦 1863年8月26日)歿
 名は綱、字は士常(子常)、立斎と号し、通称は常太郎と称した。頼養堂の子で、安芸(広島県)の人。頼山陽の姪にあたり、京都の人富小路姉小路北に居した。京都で細川林谷に篆刻を学び一家を成す。また従兄の山陽の教えをうけて儒を学び、詩文書画をよくした。

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